嘉永改正御江戸絵図(本木村周辺)

江戸時代は人や物の流れが活発になり、江戸切絵図や江戸方角安見図、各年代における江戸大絵図など多くの地図が刊行されていますが、隅田川以北を詳細に記載したものは少なく、その点でこの地図は貴重なものといえます。図内を左右に分断するように流れる墨田川には千住の大橋が架かり、川に沿って目を地図中央に移していくと、本木村を表す本木の文字のすぐ隣に“十王堂”を見つけることができます。
東京近傍10王子図(小屋ノ内手周辺)

宝寿院のある場所はその昔「小屋ノ内手」とよばれ、新編武蔵風土記稿には以下のような記述があります。
小屋ノ内手、城跡ノ西ヲ云、昔城攻ノ時小屋ヲ設ケシ所トイヘリ武蔵千葉氏の祈願所であったと伝わる当山が、城に関係が深い小屋ノ内手(出)にあったことは非常に興味深く、両者の関係の深さを物語るものといえます。
図内中央の小屋ノ内手地区に目を凝らすと“卍”のマークが見つかります。現在の地図と比べてもほぼ宝寿院の所在地と重なります。




建設中

上棟式(平成12年5月13日)


落慶式(平成13年4月14日)



本堂内陣


冬木弁天堂は、江戸深川の豪商冬木屋が本木に別邸を建築した際、本邸敷地内にあった弁財天を分祀したものです。
現在の所在地は足立区本木北町(本木小学校北側)ですが、明治34年、一時的に当山境内に移されたことがありました。
東京府知事宛に提出された堂宇移転願には、冬木弁天堂の由緒や移転に至った経緯などとともに、境内見取り図(左図)が添えられ、当時の様子を伝えています。