十王堂

十王堂は、古くから本木地区の人々の信仰を集め、親しまれてきました。明治5年の古義真言・新義真言本末一派寺院明細帳によれば、境内八畝六歩(約246坪)とあり、一堂宇としては十分な敷地を有し、十王像とともに阿弥陀三尊が安置されていました。

江戸時代には、寺子屋として地域の教育に重要な役割を担っていましたが、明治7年に廃合となり、仏像や半鐘などは当山に移され現在に至ります。

十王像

十王像

奪衣婆を含め11体(内1体は頭部のみ現存)が本堂に安置されています。残念ながら閻魔王以外、他の王たちがどの像にあたるのか判然としませんが、江戸時代のものと思われる丁寧な彫りの寄木像で、道服を着て忿怒の相を表しています。十王堂の名の由来にもなっている十王は、冥界にあって亡者を裁く10人の王(秦広王・初江王・宋帝王・五官王・閻魔王・変成王・泰山王・平等王・都市王・五道転輪王)のことで、死者は順に各王の裁きを受け、来世の場所を定められるといわれます。

阿弥陀三尊 阿弥陀如来座像

像高99センチ、お顔の部分33センチの等身の寄木像が、56センチの台座の上に半跏の形で、上品下生の来迎印を結び趺坐しています。足立区内でも大きな尊像の一つに数えられる見事なものです。

作者や年代を特定する資料は見つかっておらず今のところ不明ですが、放光光背も造立時のままで全体に保存状態も良く、江戸前期のものと推測されます。阿弥陀如来は西方浄土の教主で、すべての衆生を救おうと四十八の願いを立てた仏さまで、両脇侍とともに客仏として本堂に安置されています。

阿弥陀三尊

半鐘

半鐘

天和3年(1683)の鋳造で、池の間には以下のような銘文が刻まれています。また、音がよく響くというので、戦時中は町の火の見櫓に吊るされたと言われます。

半鐘